タイの晩ごはん

日本での仕事を辞めてタイに移住。ライターとして生計を立てています。非駐在日本人夫婦の生活をご覧ください。

「君たちはどう生きるか」の4つの謎を考察!宮”﨑”駿クレジットが意味するものは?

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こんにちは、タイの晩ごはんです。

日本の一時帰国中がちょうどタイミング良く「君たちはどう生きるか」の公開と重なったので、さっそく観てきました!

事前予告や宣伝が全く無く、そして公開後の反応も賛否両論真っ二つという同作品。わけが分からない」という感想も多く聞かれる中で、この作品をどう読み解けば良いのか?

生まれて初めて映画館で観た映画が「風の谷のナウシカ」。そしてそれ以来ずっと宮崎駿作品を追いかけてきた私が、同作品の4つの謎を検証しながら内容を読み解いていきたいと思います。

なお、この記事の内容はネタバレを含みます。というか、ネタバレしかありません。未視聴の方は、ぜひ映画をご覧になった後にご笑読ください。

君たちはどう生きるかのテーマとは?

ではまず、同作品のテーマについて自分なりの考えをお伝えしたいと思います。

それはずばり、

 

君たちはどう生きるか

 

です。

いや、そのまんまじゃないか!と言われそうですが、その通りなんだから仕方がない。

同作品の主人公である眞人は、導入パートで自分ではどうすることもできない事態に振り回されます。

戦争、母親の死、引っ越し、父の再婚。

それらの全てが、眞人には許しがたいことなのですが、自分ではその現状を変えることはできない。

そうした鬱屈した状況にありながら、ある出来事をきっかけに、眞人の考え方は大きく変わります。そしてその後、眞人が後ろを振り向ことはありません。

ただただ実直に、そして懸命に、前を向いて生きていこうとします。

そうした眞人の姿を描いた上で、宮崎監督は私たちに問いかけているのです。

 

眞人はこんなにも懸命に生きた。君たちはどう生きるかと。

 

同映画に対して「内容がよく理解できない」、という反応が多いと聞きます。

実際、私が観終わった後の劇場内も、同じような雰囲気でした。

映画終了後にこんなにも観客席がざわざわして、困惑の雰囲気が漂っていたのは「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」(エヴァ旧劇版)以来です(笑)。

ただこれも、宮崎監督の狙い通りではないでしょうか。

眞人と同じように、観客もわけが分からない、自分ではどうしようもない状況に追い込んだ上で、「君たちはどう生きるか」と問いかけているわけです。

これが、内容が分かりやすくてスッキリとした視聴感のものであれば、逆に私たちの心に何も残らなかったかもしれません。

眞人くん頑張ったよね、偉かったよね。

これだけで、終わってしまう。

そうではなく、宮崎監督は私たちが自分自身で考えて、答えを見つけてほしいのではないでしょうか。

君たちはどう生きるかの謎①:眞人はなぜ自分で自分を傷つけた?原作との関係は?

映画の前半部分で、眞人は自ら掴んだ石を使って、自分自身を激しく傷つけます。

同級生との喧嘩の後とはいえ、あまりにも唐突な行動なので皆ビックリしたはず(私もそうでした)。

しかしこの行動も、眞人のやりきれなさに繋がっています。

東京から田舎に引っ越してきて、新しい母親(夏子)に引き合わされ、そして学校の同級生も気に入らない。

こうした状況から逃げるために、自分で自分を傷つけて、学校にも行かず、誰とも関わらなくてすむ状況を自ら作り出したのではないでしょうか。

ちなみに、眞人は一貫して夏子のことを「父の好きな人」と呼称しています。事実を踏まえて「母の妹」と言えばすむことを、あえてそうしない。これも、眞人のこじれた気持ちを表しているように思えます。

 

そんな眞人の考え方が変わる原因となったのが、映画の原作ともなっている小説「君たちはどう生きるか」です。

同小説が読者に伝えていることが、「子どもっぽい自己中心的な考え方を改め、自分が世の中の一構成員であると捉え、自分で考え行動し、立派な大人になっていく」というものです。

眞人はこの小説を偶然見つけますが、そこには母親からの「大人になった眞人へ」という添え書きが記されていました。

眞人は、この小説を母親からのメッセージと受け取ったはずです。母親が願うような立派な大人にならなければならない。そのためには、自己中心的な自分の考え方を改める必要がある。眞人は涙を流しながらこの本を読み、それが眞人の心を動かす直接のきっかけとなったのです。

その証拠に眞人はこの本を読む前、森(塔)の中に一人で入っていく夏子を目にしながら、華麗にスルーします。

しかし、本を読んだ後は夏子を探す人たちの声を聞き、自らも探しに出かけます。眞人の考え方が大きく変わった瞬間でもあったのです。

君たちはどう生きるかの謎②:夏子はなぜ一人で塔に向かったのか?

ではなぜ、つわりで苦しむ中にも関わらず、夏子はたった一人で森の中にある塔に向かったのでしょうか?

それはおそらく、眞人を守るためではないでしょうか。

塔の中にある別世界の管理人である、大叔父。実はこの大叔父は現実世界のバランスを保つ役割を担っていました。

しかし、その大叔父も死期が迫っています。

跡取りを見つけなければならないが、それは血縁者でなければならない。そこで大叔父が目をつけたのが眞人だったのです。

夏子はそのストーリーから眞人を守るために、塔の中で出産することにした。そしてその子どもを跡取りとして差し出すつもりだったのではないでしょうか。

その証左に、鍛冶屋を食べてしまったインコたちも、夏子には手を出しません。その理由が「子どもがお腹の中にいるから」でした。

そして自分を追いかけてきた眞人に対して、夏子は「なぜここに来た!帰れ!!」と激しく叱責します。

この夏子の行動は、「立派な大人として自分は世の中の一構成員であると捉え、他の人のために生きる」という、まさしく小説「君たちはどう生きるか」の考え方に沿ったものでもあります。

夏子はきっと姉の影響から、自身もこの小説を読んでいたに違いありません。

君たちはどう生きるかの謎③:母親とヒミ様は同一人物?なぜ火を操れる?

塔の中の世界で眞人が出会い、眞人を救ってくれたのが「ヒミ様」。

このヒミ様は、眞人の母親であるヒサコと同一人物です。それはヒミ様が夏子のことを「妹」と呼んでいること、眞人を自分の子どもと認識していることから明らかです。

では、そのヒサコはどうして塔の中の世界では子どもの姿で現れるのでしょうか?

それは、ヒサコ自身が子ども時代に神隠しにあっているから。映画内でも語られている通り、ヒサコは1年間その姿が見えず、その間は塔の中の世界にいたと思われます。

塔の中は時間も場所も超越した世界ですから、眞人はその子ども時代の母親ヒサコと出会ったのです。

では、子ども時代のヒサコであるヒミ様は、どうして自在に火を操れるのでしょうか?

それは、自身がすでに焼死しているからです。

映画の冒頭で、ヒサコは火事に巻き込まれて死んでしまいます。

だからこそ、火を操る能力を身に着けたのではないでしょうか。

死んだはずの母親が、子どもの姿で現れるのはおかしいと思われるかもしれませんが、それも塔の中の世界のなせる業。

映画内でも、そのことを示唆するシーンがいくつか登場します。

例えば、眞人が「自分の母親は死んだ」と告白するシーン。その時に、ヒミ様は「自分も同じ」と答えています。自分が死んだ存在であることを理解しているわけです。

そしてラストシーン、ヒミ様はキリコと自分の世界(自分の時代)に戻ります。そこに戻れば火事で死んでしまうことを承知の上で、それでも眞人を産むために戻る。これも、同小説が伝えたいメッセージとリンクするような行動でした。自分の子どもに願う生き方を、自分自身の姿によって眞人に見せたのです。

君たちはどう生きるかの謎④「宮﨑駿」クレジットに隠された秘密

大まかな映画の内容は以上の通りですが、じつは最後の最後に、一番大きな謎(?)が示されています。

それが、宮﨑駿のクレジットです。

このクレジットを見て、違和感を感じたのは私だけではないでしょう。

宮崎駿の「崎」の字が、「﨑」になっていたのです。

(改めてポスターを見直してみると、そこも宮﨑駿クレジットになっていました)

自分の中の記憶では、宮崎駿の漢字は「崎」のつもりだったのですが、もしかして勘違いだったのか?ということで、実際に過去の宮崎作品(ジブリ)のクレジット表記を改めて確認してみました。

というわけでやはり、宮”崎” 駿クレジットだったのです!(On Your Markは確認できませんでした。ご存じの方は教えていただけると助かります)

ではなぜ、「君たちはどう生きるか」だけ、宮”﨑” 駿クレジットなのか?

宮崎駿監督の戸籍上の記載がどうなのかは分かりませんが、おそらくは宮”﨑” 駿なのでしょう。その上で、考察してみます。

君たちはどう生きるか」は、従来の日本映画では当たり前である「製作委員会方式」を採用していません。

製作委員会方式とは複数の企業に出資してもらって映画を制作する方法ですが、「君たちはどう生きるか」では、全てスタジオジブリの自己資金で制作されています(恐らくは)。

ということはつまり、この映画は宮崎駿の自主制作映画と捉えることもできるわけです。

スタジオジブリは元々、天空の城ラピュタを制作するために発足しました(ナウシカは実際にはジブリ以前の作品)。

宮崎駿のために作られたスタジオですから、宮崎駿の好きなように作ってもらおう(実際、一度スタジオジブリは映画製作部門を一度閉鎖しています)と、自己資金で制作した。

君たちはどう生きるか」は事前の宣伝を一切行わないことでも話題になりましたが、実はこれも、宣伝にかけるお金が残っていなかったからではないか?と邪推しています。

最後の最後、自分の好きなように映画を作る。だからこその宮”﨑” 駿クレジットなのではないでしょうか?

 

そして宮”﨑” 駿クレジットの理由として、もう一つ考えられるものがあります。

君たちはどう生きるか」の裏テーマは、「精神的な生まれ変わり」だと考えます。

ヒサコは子どもの姿で眞人の前に「生まれ変わり」、眞人も自分の考え方・生き方を大きく「生まれ変わらせ」ます。

もし宮崎駿監督自身も、宮”﨑” 駿として精神的に生まれ変わったのだとしたら?

君たちはどう生きるか」には、宮崎駿の過去作品を思わせるモチーフが数多く登場します。

例えば、ラピュタのような庭園、夏子を取り巻くように配置されていた式神千と千尋)、ナウシカの世界にいるような生き物(蟲)、紅の豚で登場したような東屋、そしてワラワラはもろにもののけ姫の「こだま」でした。

そのため、「君たちはどう生きるか」は宮崎駿の集大成であり、正真正銘、これが最後の作品であると思われていました(少なくとも自分はそう考えていた)。

ところが、もし宮崎監督が「君たちはどう生きるか」を制作することによって、まさに自分自身に対して「自分はどう生きるか?」を改めて問い直し、そして精神的な意味で『生まれ変わった』としたら?

宮”崎” 駿は宮”﨑” 駿として生まれ変わった。

君たちはどう生きるか」は生まれ変わった宮﨑駿の全く新しい作品であり、そして次の作品を作るつもりかもしれない!ということではないでしょうか。

実際に、映画公開後も宮崎監督自身によるコメントは一切出ていません。前回あったような「引退宣言」もなされていないわけです。

宮崎駿ファンとしては、ぜひ次の宮崎作品も観たいものです。

まとめ

君たちはどう生きるか」は宮崎監督が宮”﨑” 駿として生まれ変わった全く新しい作品であり、だからこそこんなにも賛否両論が飛び交っているのかもしれません。

良くも悪くも、過去の宮崎作品とは一線を画するものなのです。

自分としても、もしこれが他監督の作品であれば「なんじゃこりゃ!」とちゃぶ台をひっくり返していたことに違いありません(笑)。

しかし、これまでその多くの作品で私たちを魅了してきた宮崎監督だからこそ作れた映画とも言うことができますし、監督がこれまで積み重ねてきたものをベースにして向き合ってみると、また違う発見があるかもしれません。

 

宮”﨑” 駿のこれからの活動に、まだまだ目を離すわけにはいきません!